十月十日

救命団体(「天使のほほえみ」)の研修会にて、6年前に講演された内容です。あまりに素晴らしい内容ですので主催された団体のご許可を戴いて、紹介させていただきます。(京都いのちの教育センター 主幹 大熊良樹 拝)
「障害者救済から、生命尊重・母体保護法改正」
参議院議員 衛藤晟一  先生 
 優生保護に関しては、昭和15年「国民優生法」ができました。これは優性を維持するため、障害とかいろいろなものがあった時に断種させるというものです。
 昭和23年に「優生保護法」に改定され、14条に「経済的理由」がありこれが問題となっています。平成8年に「母胎保護法」となりました。
 私は25才の時に市議会議員となり、以来障害者問題を一生懸命にやらせて頂いています。 「障害者は優生保護法が中絶してもよいと言うので、不完全なのだから抹殺しても良いのだ、この世の中で生きる権利はないんだ、この社会において障害者はいない方がいいんだ、断種して抹殺しても良いんだ」と捉えるのか、それとも、「障害者もすばらしい存在なんだ」と捉えるのか、実はこの所が一番大きな問題だと思います。
 日本では今障害者と言われている方々は、身体障害、視覚障害、聴覚障害の方が、全国で約360万人います。知的障害の方々が約60~100万人、精神障害は約320万人です。
 さらに発達障害と言われる方々(自閉症、AD:注意欠陥、HD:多動性障害)は一種の脳機能障害によって生じたコミュニケーション能力不足であり、100万人とも200万人とも言われています。
 先日、児童養護施設の理事の方に「戦後間もなくの児童養護施設は、父母が戦争で亡くなった児、親の生活が極めて厳しくて預けられた児が大半で、ここでは衣食住を提供すれば事足れりと言われていた。しかし最近では約7割が虐待児であり、重複も含めて半数が発達障害と言われている。障害児問題は本当に大変な問題です。」と言われました。
 昭和15年の国民優生法はヒットラーの考えと同じ思想です。ヒットラーは「優秀なゲルマン民族、ドイツ民族を残す。そこへユダヤの血が入ってくる事はけしからんからユダヤの血は根絶やしにし、ゲルマンの優性を残してすばらしい民族を作り上げる。」という思想でした。同様の思想が日本にも入ってきて、「国民優生法」の形で障害者を断種しても良いのだという事になりました。
 しかし、障害者はどうしても出てきます。谷口雅春先生は「走るのが速いとか遅いとかと同じ様に、能力の差なんですよ。個性や能力の差であって、みんなすばらしい人間なんですよ」と仰いました。これを受けて「障害者の得意不得意の状況も一般の人との能力や個性の違いの一つとして認められなければならないのではないか。」これが私の障害者に対する考えになりました。又、そう考える様になるのに、沢山のお母さん方との出会いもありました。 
 私は若い頃、障害児を持ったお母さん方に「皆さん、明るくていいですね」と声をかけたら、「本当にあなたはそれだけだと思っているの。そうじゃないのよ。ここにいるほとさんは、一度は子供と心中しようとしたのよ。でも思い直して、子供と生きて育てていく中で、『実は自分達はこの子に育てられているんだ』と思うようになった時、初めて元気になったのよ。」と言われました。
 ある本に障害に対する日本の言い伝えが書かれています。「日本では障害者を邪魔者として扱っていません。『障害を持った子は徳を持った子、福子だ』と言っています。仏教の影響からかもしれないし、家族の業を背負って生まれて来てくれたと感謝したのかもしれないし、その子のお蔭で家族仲良く頑張れると思ったのかもしれない。いずれにしても日本人は障害者を家族の中で大事にしてきた」と書いてありました。日本の社会は障害者をのけ者にしては来なかったのです。日本は本当にすばらしい国なんです。
 40から50年ぐらい前の障害者施策は、障害者がかわいそうだから山の中に30万坪とかの土地を求め、500人とか集めて衣食住を提供していました。でもそうではなくて、「障害を持った人も地域の中で、家庭の中で一緒に暮らせる社会を作る事の方がよっぽど暖かくて良い社会になる」と考えました。
 ところが、障害者団体の一部には、障害を持っているから憲法で保障された人権を戦い取るべきだという、マルクス主義に毒されている人達もいます。その人達は「障害者は当然の権利として、全て国が面倒を見ろ」と言っていましたが、私共は「皆すばらしい存在なんだから、地域の中で一緒に暮らせる様にする。それをバックアップするのが政治です。」と主張しました。そして私達が頑張った結果、やっと地域で皆と一緒に暮しができるという切り替えができてきた所です。 優生保護法には3つの根があります。
①障害者やライ病者などを抹殺してもよい
②母体が大変危険な場合の母体保護と「経済的理由」により抹殺してもよい
③中絶するには本人の意思でよい
 このポイントで、日本の厚い壁の中で優生保護法の改正にどう取り組むべきかを考えました。 宗教的に言ったら中絶は全面的に否定されるべきだが、現実生活においてどこまでギリギリ妥協されるべきかを考えた時、私は「中絶は妊娠の継続が危うい時や、暴行等により妊娠した時とかにのみ限定すべきではないか」と考えました。従って、「障害者は抹殺しても良い」という優生保護法の条文は「障害者を大人になってからでも殺してよい」という理屈になってしまうので、「優性保護法から障害者条項を削除しなければならない。」と決意しました。
 ですから、平成8年に改正した時に、「障害者条項を削れ」と言ったのは、私と障害者団体の一部が言い出した事です。しかしその時、「経済的理由」の削除に手を付けるのはジェンダフリー団体の反対で不可能に近い状態でした。そこで、障害者条項のみをカミソリで切った様に除くという事になり、その他は全部残ってしまいました。胎児は神の子さんなのに、親が勝手に苦しいからという理由によって、中絶できる法律が残ってしまいました。 今後はその部分について、「妊娠の継続が困難で、母体の胎児も危ういという時のみ以外は、何とか中絶をやめる」というようにして、「経済的理由」を削る事にするしかありません。 
 又、「『経済的理由』を医者が判断できるのか」、ここが決定的な法の矛盾です。「経済的理由」は社会的問題なのに、「経済的理由」が本人と医者だけによって判断可能なのか。これはおかしい事です。もしまた、「経済的理由」の文言が削除できないのであれば、医者によって判断させるのではなくて、「ちゃんとした社会的な審議会を作り、『経済的にこの場合はどうしようもない』との結論が出た時のみ」にすることです。 次には、子供は母親だけの責任でなく、「父親の承諾も必要」というようにすべきです。 最後はこの「経済的理由」を完全にはずし、「本人だけの意思」も外さねばなりません。
こういうふうに考えていますが、国会の中でなかなかそこまでいきません。
 そのため「皆さんの考えられている事をもっともっと拡大し、皆で協力して国民的な合意まで持っていかなければならない」と思います。
 法律はある意味で原因を作りますが、皆で考えている平均的な結果でもあります。だから、私共としてはコツコツとでも広げて改正できるという状況にしていく事が大切です。そして皆が「そうだね」となった時に法律は変わっていくのです。
 私も一生懸命努力してきて、第一歩として「障害者条項」を削除しましたが、その後が出来ていないので非常に心苦しく思っています。今後頑張って、「経済的理由」と「母親が殺してもいい」という条項だけは何としても削らないと、本当に大変なことになると思っています。
 今、虐待が大変増えています。大分のある産婦人科のお医者さんに「どうしてこう虐待が増えるのでしょうか」と聞いたら、「衛藤さん、これは30年かかって日本がやってきた事なんですよ。この虐待した親は子供の時、親に愛されて育たなかった。虐待されて育った。だから自分の子供の愛し方を知らない。だから自分の子供を虐待してしまうんです」と。
 私どもの家庭が、中絶を認める中でいつの間にか自分勝手になって、自分の事を最優先にすれば良いという事になって来た結果、親も生まれて来た子供を本当に愛さない。そして、その子供が親になった時、自分の子供の愛し方が分からない、育て方が分からないという、とんでもない国を私達は作ってきた様な気がします。
 発達障害の症状が出ている方の相当数が擬似発達障害と言われています。その症状は例えば、赤ちゃんにお乳を与えたり、あやす時に子供の目を見ることができない症状です。発達障害の子供はほとんど話すとき目を見て話せません。コミュニケーション障害です。
母親がお乳をやっている時、携帯やテレビゲームなどをやっていたんだと思います。
 「子供がまだ言葉を話せない時に、言葉で話しかけ、目を見て話しかけるという事が実は子供を育てている」んです。それは昔から日本にある「いないいないばー」とか「高い高い」とか。私も長男を思い出します。子供をいくら高く持ち上げても、上で「キャッキャッ」と笑っています。あれだって親に対するものすごい信頼ですね。そういう事を経験してこなかった子供が発達障害になっていると言われています。
 今、私達は科学的に「発達障害や精神障害や虐待の問題」を分析し研究していますが、「その根っこにハッキリと中絶問題があります」。自分の都合によって子供の生命を殺しても良いのだという大変な思想ですから、これを止めさせないと子育て自体もそういう具合になってしまっています。
 私はその中から多くの問題が発生していると言うことを感じている所です。 私も皆さんと一緒にこの問題に頑張って取り組んでいきたいと思っている次第です。




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